大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和29年(ワ)9273号 判決

原告 姜京鳳

被告 国

訴訟代理人 岡本拓 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金十二万円及びこれに対する昭和二十九年九月二十四日から完済まで年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告は、昭和二十九年九月二十三日午後一時過ぎ頃東京都台東区浅草松澄町百番地先都電通りの歩道上を自宅に帰るべく通行中、警視庁蔵前警察署勤務の巡査荻原幸夫に呼び止められ、同巡査から職務質問を受けた上外国人登録証明書(原告は朝鮮人)の呈示を求められたが、当時これを自宅に置き忘れて携帯していなかつたので同巡査に対して自宅まで同行を願つたけれども聴き容れられず、最寄りの菊屋橋巡査派出所まで来てもらいたいと要求された。

二、そこで(イ)原告は、折柄通り合せた訴外鈴木千(原告の近隣の者)に対し、原告の自宅へ赴き原告の夫に原告の外国人登録証明書を持参するよう伝言してもらいたい旨依頼したところ、荻原巡査から怒鳴りつけられ、あまつさえ左平手をもつて右頬を一回殴られ、(ロ)更に原告が所持する荷物を同巡査に預けて帰宅の上外国人登録証明書を持参するからそれまで待つてもらいたいというと、再び同巡査からののしられた後左拳をもつて右脇腹を突かれたばかりでなく、左手で右肩を掴まれ足払をかけられて道路上に倒され、(ハ)原告が立ち上つて、そんなひどいことをしないでもいいではないかというと、二度ならず三度までも前と同じやり方で道路上に倒され、その都度腰部及び両下肢を靴で数回蹴られ、(ハ)なおも起き上つた原告がよろめいて同巡査にもたれかかると、今度は左手の親指をねぢ上げ身体を一回転して道路上に倒され、またも前同様蹴られたのである。原告は、荻原巡査の叙上のごとき暴行陵虐行為により、全治までに約三週間を要する腰部及び両下肢の打撲傷、左親指掌指関節の捻挫並びに右肘の擦過傷等を蒙つたのであるが、これ等傷害は、荻原巡査がその職務を行うに当り故意をもつて違法に原告に加えたものにほかならないのである。

三、さて荻原巡査は、前述したとおり警視庁蔵前警察署に勤務するものではあるが、同巡査が暴行陵虐行為により原告に蒙らせた損害(その内容については後述する。)については、被告において原告に対しその賠償をなすべき義務を負担すべきものである。その理由は、左に述べるとおりである。荻原巡査が原告に対し前記のような暴行陵虐を加えた昭和二十九年九月二十三日当時においては、昭和二十九年法律第百六十二号警察法(いわゆる新警察法)が施行されており、同法第三十八条の規定によると、都知事の所轄の下に都公安委員会が置かれ、同委員会は都警察を管理するものとされているので、荻原巡査は公共団体たる東京都の公権力の行使に当る公務員であり、同巡査の前述のごとき違法行為については東京都がその損害賠償の責に任ずべく、被告にはその責任がないように解せられるかも知れないが、かかる解釈は誤りである。すなわち、都道府県警察の職員が警察官職務執行法及び刑事訴訟法に準拠して行う権限は国家的要請に基くものであつて、その限りにおいては、国の公権力を行使するものと考えるべきである。刑法第百九十四条及び第百九十五条が裁判、検察、警察の職務を行い、又はこれを補助する者を特別公務員として、その職権の濫用及び暴行陵虐行為に関する罰条を特に規定した理由も右の趣旨に出たにほかならないのである。ところで荻原巡査の原告に対する上述の違法行為は、同巡査が原告に外国人登録証明書の不携帯又はその呈示拒否という外国人登録法違反行為の嫌疑があるとして司法警察職員の職務を執行するに際して行われたものであるから、この場合荻原巡査が国の公権力の行使に当る公務員であることは疑の余地がないのである。

四、原告は、明治三十五年二月二十五日生れの朝鮮済州島に本籍を有する老婆であるが、上述のごとく荻原巡査から受けた犯罪の嫌疑についてひたすら慇懃な態度をもつて弁明を試みたにかかわらず、同巡査は頑迷にもこれに耳を藉さず、白昼多衆の通行する公道上において、同巡査のためいわれのない暴行陵虐により傷害を加えられ、終生拭うべからざる屈辱を受けたのであつて、そのために蒙つた精神上の損害を慰藉するため被告に対し金十二万円の賠償を請求する権利を有するものである。

五、そこで原告は被告に対して国家賠償法の定めるところに従い慰藉料金十二万円及びこれに対する昭和二十九年九月二十四日(右慰藉料請求権発生の翌日)から完済まで民法に定める年五分の遅延損害金の支払を請求するものである。

と述べ、

なお、「原告の本国においては日本の国家賠償法と同趣旨の法律が制定施行されているのであるから、本件訴訟が国家賠償法により律せらるべきこと(同法第六条参照)については何等の支障がない。」と釈明した。〈証拠省略〉

被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、

一、原告主張事実中、警視庁蔵前警察署勤務巡査荻原幸夫が原告主張の日(但しその時刻は午後二時二十分頃である。)その主張の場所において原告に対し職務質問をなし、その際原告に外国人登録証明書の呈示を求め、且つ続いて菊屋橋巡査派出所まで同行を要請したこと、原告が当時道路上に転倒して傷害(但しその部位程度を除く。)を蒙つたこと及び原告がその主張の日時生れの朝鮮人であることは認めるが、その余の事実は争う。

二、荻原巡査が原告の主張するごとくその職務を行うについて故意により違法に原告に損害を加えたものでないことは、後に主張するとおりであるが、それはしばらく別としても、同巡査は、原告も自認するように警視庁蔵前警察署に勤務する警察官であつて、国の公権力に当る公務員ではないから、この点だけからいつても、同巡査の職務執行に関して被告が国家賠償法により原告に対し損害賠償の責に任ずべきいわれはない。以下その理由を詳述する。

(一)  旧憲法の下におけるわが国の警察制度は大陸法の強い影響を受け、警察事務は通常行政警察事務と司法警察事務との二つに截然と区別され、これ等警察権は、天皇の総攬すべき統治権に属するものとしてすべてを国家に統一し、地方公共団体の自治権に委ねられるところがなかつた。すなわち、行政警察については、これを本来の警察権の作用とし、「行政警察ノ趣旨タル人民ノ凶害ヲ予防シ安寧ヲ保全スルニ在リ」(明治八年太政官達第二十九号行政警察規則)とされて、その事務の大部分を占める一般保安警察事務を内務大臣に、その他の事務を各省大臣に属せしめ、これ等大臣を第一級の警察官庁とし、その下に第二級の警察官庁として警視総監、北海道庁長官及び府県知事を、第三級の警察官庁として警察署長を置き、すべての権力を中央に集中して整然たる指揮監督の下にその事務を遂行して来たのである。一方司法警察については、「司法警察ハ行政警察予防ノ力及ハスシテ法律ニ背ク者アルトキ其犯人ヲ探索シテ之ヲ逮捕スルモノトス」「司法警察ノ職務ト行政警察ノ職務トハ互ニ相牽連スルヲ以テ一人ニテ其二個ノ職務ヲ行フ者アリト雖其本務ニ於テハ判然区別アリ」(明治七年太政官達第十四号司法警察規則)として、その主管は司法大臣とされた。そして旧刑事訴訟法(大正十一年法律第七十五号)によれぱ、犯罪捜査の主体は国家的統一機関である検事とし、警察官は検事の補佐としてその指揮を受け、司法警察官として犯罪の捜査に当り、また巡査は検事若しくは司法警察官の命令を受け、司法警察吏として捜査の補助をすべきものとし(同法第二百四十八条及び第二百四十九条、なお裁判所構成法第八十四条)、警視総監及び地方長官は検事と同一の捜査権限を有する司法警察官とされて(第二百四十七条)検事正及びその上級機関の指揮を受けていたので、司法警察権もまた中央に集中されて地方公共団体がこれに介入する余地はなかつたのである。

(二)  (イ)ところで新憲法は、政治の民主化を旗印として徹底した地方分権主義を採用することにより、従来の政治の機構と運営とに根本的な改革を加えることとなつた。すなわち、新憲法は地方自治のあり方について、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」べきこと(第九十二条)及び地方公共団体は地方自治の基本権を有すること(第九十四条及び第九十五条)を明定し、従来とかく経済団体ないしは事業団体的性格に重点を置いて観念されていた地方公共団体に新たに国家類似の権力団体ないしは統治団体的性格を認めた結果、地方公共団体には財政権はもとより警察権、統制権等広汎な公権力の行使が予定されることとなつた。更に新憲法と同時に施行された地方自治法は、「普通地方公共団体は、その公共事務並びに従来法令により及び将来法律又は政令により普通地方公共団体に属する事務を処理する。」(第二条)「都道府県知事は、当該都道府県の事務及び部内の行政事務並びに従来法令により及び将来法律又は政令によりその権限に属する他の地方公共団体その他公共団体の事務を管理し及びこれを執行する。市町村長は、当該市町村の事務並びに従来法令により及び将来法律又は政令によりその権限に属する国、他の地方公共団体その他公共団体の事務を管理し及びこれを執行する。」(第百四十八条)ものと定めたが、これは旧憲法当時における府県制、市制、町村制及び地方官官制等旧地方制の規定をそのまま踏襲したものであつて、地方自治権の内容については将来の法律及び政令の制定に待つこととされていたのである。

(ロ) このような中に昭和二十二年九月十六日連合国軍最高司令官から当時の片山内閣総理大臣あてに警察制度改革に関する勧告があり、同年法律第百九十六号をもつて警察法(以下旧警察法と呼ぶ。)が制定施行されたのであるが、旧警察法は、英米法の強い影響を受けたものであつたため、旧来における大陸法系の警察の概念を一変するに至つたのである。まずそれまで広汎に亘り且つ限界の不明確であつた警察の責務と活動の範囲についてこれを明確化する(第一条)とともに、警察の運営管理を、公共の秩序の維持、生命財産の保護、犯罪の予防及び鎮圧、犯罪の捜査及び被疑者の逮捕、交通の取締、逮捕状、勾留状の執行その他の裁判所、裁判官又は検察官の命ずる事務で法律をもつて定めるものにかかるものに限定し(第二条第二項)、且つ行政警察事務と司法警察事務とを峻別する従来の大陸法系の思想が捨て去られ、両者の間に性格的相違の重要性が認められなくなつたのである。つぎに民主的権威の組織確立のために中央集権的一元的警察制度が廃止され、警察作用は原則として地方公共団体にその自治事務として行わせることとし、ただ警察維持能力のない村落的地方公共団体のため及び平時における自治体警察相互間の連絡調整に当るため並びに非常事態に際しての警察活動の効果を完からせるために、国家機関としての警察が設けられ、国家警察と自治体警察との二本建が制度化された。すなわち、都道府県知事の所轄の下に都道府県公安委員会が置かれ、同委員会は都道府県国家地方警察の運営管理を行い(第二十条)、都道府県国家地方警察は、その都道府県の区域中自治体警察の管轄に属する区域を除いて前掲の第二条第二項に定める事務を行うこととなり(第二十七条)、一方市及び人口五千以上の市街的町村は、その区域内において警察を維持し、法律及び秩序の執行に任じ(第四十条)、市町村警察は、第二条第二項に掲げた事項に関するすべての職務を行う(第四十一条)こととされたのである。このようにして従前殆んど無反省に当然国の事務に属するものとされて来た警察権は、旧警察法によつて原則的に地方公共団体に属することが明らかにされ、行政警察は勿論司法警察をも含むすべての警察作用について国家的指揮系統から完全に独立した自治体警察が認められることとなつたのである。

(ハ) なお旧警察法の制定に呼応して昭和二十二年十二月第一回国会において地方自治法の一部改正が行われ、前掲地方自治法の第二条は、「普通地方公共団体は、その公共事務及び法律又はこれに基く政令により普通地方公共団体に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で国の事務に属しないものを処理する。」と修正されて、地方公共団体が従来の公共事務(固有事務)及び委任事務(団体委任事務)のほかに第三の事務として行政事務を処理する権能のあることが明らかにされるとともに、地方公共団体の長の権限に関する前掲第百四十八条も改正され、都道府県知事の「部内の行政事務」の管理執行権が削除されて知事と市町村長とはともに同列の立場でその事務を管理執行するものとされるに至つたのである。更に前示改正にかかる地方自治法第二条の規定は、昭和二十三年第二回国会において修正を受け、新たに第三項及び第四項が追加され、その第三項において地方公共団体の処理すべき事務が二十一項目に亘つて例示され、第四項において地方公共団体の処理することのできない事務八種目が列挙された。そして右第三項第一号には「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」とあるが、自治体警察の行うべき警察事務がここにいわゆる地方公共の秩序の維持に該当することは、旧警察法の規定の趣旨に鑑み明白である。もつともこの点について一説には、右の地方公共の秩序の維持は行政警察のみを意味し、司法警察は地方公共団体の処理できない事務として例示された司法ないしは刑罰に関する事務に該当すると説くものもあるようであるが、この見解は、上叙のとおり行政警察と司法警察とを区別することなく、すべてを自治体警察の事務とした旧警察法の建前を無視した論で、到底首肯できないものである。そうだとすれば犯罪の捜査、犯人の逮捕等を意味する右にいう地方公共の秩序の維持が地方自治法第二条第二項所定の固有事務、行政事務又は団体委任事務のいずれに当るかについて更に考究する必要があるのであるが、既に述べたところの旧警察法制定の趣旨と経過に徴し、またその他の法律において自治体警察の費用が当該地方公共団体の負担となつていること(地方財政法第九条、地方自治法第二百二十八条及び第二百二十九条参照)等からしてこれを団体委任事務と解することはできず、更に旧地方制度の下においてその事務の中に警察事務が含まれなかつた過去の歴史や人口五千以下の村落的町村は警察事務を行い得ないものとされている点等から考えてこれを固有事務とみるのも困難であり(もし固有事務であるとすれば、村落的町村が自らの固有事務を行い得ないということは論理に反する。)、結局これを行政事務とみる通説を妥当とすべきである。それ故旧警察法の下においては、司法警察に関する公権力の行使(特別司法警察職員の公権力の行使はここでは論外とする。)について二つの態様があり、その一は都道府県国家地方警察による国の公権力の行使であり、他は市町村自治体警察による地方公共団体の公権力の行使であつて、これ等公権力の行使によつて違法に他人の権利を侵害した場合における国家賠償法第一条所定の損害賠償責任者は、当該警察活動が国家地方警察によるものであるか自治体警察によるものであるかによつてその結論を異にすることになるのである。

(ニ) 叙上地方自治法の改正に関連して新刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)の制定についても一言しなければならない。既述のとおり旧刑事訴訟法の下にあつては、犯罪捜査の中心機関は検事であつて、警察官吏はその補助機関に過ぎなかつた。しかるに新憲法下において地方自治法及び旧警察法の制定により警察権の地方分権化が確立され、一定の地方公共団体が独立の司法警察権を有するに至つた以上、統一的国家機関である検察官に右のような強力な指揮命令権を与えることは新しい法律の精神に著しく背馳することともなるので、新刑事訴訟法は、この点を抜本的に改正して、司法警察職員をもつて第一次に捜査責任を有する捜査機関(第百八十九条第二項)、検察官をもつて第二次的補充的に捜査責任を有する捜査機関(第百九十一条第一項)と定め、検察官と都道府県公安委員会及び市町村公安委員会との関係は協力関係であるとし(第百九十二条)、ただ一定の範囲において検察官に捜査の指示権と指揮権とを与え(第百九十三条)、もつて地方公共団体の警察権を意義あらしめることとしたのである。

(三)  (イ)叙上のような経過により民主的警察確立のため旧警察法が制定され運用されていたのであるが、何分にも早急な立法であつただけにその後わが国情に適しない制度上の欠陥が次第に明らかとなつて来たのである。すなわち、国家地方警察と自治体警察との二本建主義の制度において、町村部を管轄する前者は国家的性格が過ぎて自治的要素に欠け、都市部を管轄する後者は完全自治に過ぎて国家的性格を欠除し、地域を異にする二つの警察が容易に融合しないばかりでなく、自治体警察の細分化は警察の効率的運用の面からも国家及び地方財政の面からも国民の負担を大きくし、このような種々の弊害はその後数次に亘る法律の一部改正によつてもこれを払拭することができなかつたところ、わが国の独立回復以来警察制度の改革について調査研究が重ねられ、遂に昭和二十九年法律第百六十二号をもつて新しい警察法(以下新警察法と呼ぶ。)が公布施行されたのである。

(ロ) 新警察法は、在来の国家地方警察と自治体警察との二本建制を廃し、都道府県警察に一元化することによつて警察運営の能率化を図るとともに、その性格については従前の市町村自治体警察の自治的要素を維持する反面、これに国家的色彩を加味することによつて国家的性格と自治的要素とを調和することに勉めたのである。すなわち、警察の責務については旧警察法と同様「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」(第二条)ものと規定し、「都道府県に、都道府警察を置く。都道府県警察は、当該都道府県の区域につき第二条の責務に任ずる。」(第三十六条)、「都道府県知事の所轄の下に、都道府県公安委員会を置く。都道府県公安委員会は、都道府県警察を管理する。」(第三十八条)と定め、都道府県単位にそれぞれ一本の警察を設けさせ、これを都道府県公安委員会の管理下に置いて行政警察と司法警察とをともに行わせることとし、このほか都道府県警察の経費は原則として当該都道府県が負担し(第三十七条第二項)、その内部組織その他重要な行政管轄に関する事項はすべて条例で定めることとする(例えば第四十七条第四項、第五十一条第五項、第五十三条第四項、第五十六条第二項及び第五十七条第二項等)こと等によつて都道府県警察に地方公共団体の機関たるにふさわしい自治的性格を附与したのである。しかもその反面において、これを旧警察法のごとく完全な自治体警察とすることを避けて、内閣総理大臣所轄下の国家公安委員会に警察庁を置き、狭い範囲のその所掌事務を定め(第四条、第五条及び第十五条)、都道府県警察は警察庁のこれ等の事務について警察庁長官の指揮監督を受けるものとした(第十六条)ほか、警視正以上の階級にある警察官を一般職の国家公務員とし(第五十六条)、更に都道府県警察に要する経費のうち特定の事務に要するものは国庫が支弁すべきものとする(第三十七条第一項)等自治体警察についてある程度国の関与が認められることとなつたのである。

(ハ) かように規定された都道府県警察の行うべき警察事務が地方自治法の分類による固有事務、行政事務、団体委任事務又は機関委任事務のいずれに該当するかについて考察するに、新警察法制定の経過とその規定とからみてこれを機関委任事務と解する余地はなく、警察権がその本質において国の統治権に基く国家的性格のものであることからしてこれを地方公共団体の固有の事務とすることもできないことは、既に旧警察法に関連して説明したところと同じである。旧警察法の下においては、完全な自治体警察を認めた規定の趣旨からこれを行政事務と解したのであるが、新警察法は、都道府県警察を完全な自治体警察としないで警察事務を本来国家に属すべきものと認め、たゞ地方自治の本旨から明文をもつてこれ等すべてを都道府県に行わせることとし、国家的規制を最少限度に止めたのであるから、この法律によつて新たにこれを地方公共団体たる都道府県に委任したものと解釈すべきものである。

(四)  (イ)従つて新警察法の下においては、都道府県警察の職員が行うべき犯罪の捜査、被疑者の逮捕等いわゆる司法警察は、同法によつて都道府県に団体委任され、その行うべき事務とされているのであるから、都道府県警察の職員による司法警察権の発動は、国家賠償法の適用については公共団体の公権力の行使に該当し、同法に基く損害賠償責任を負担すべき者は当該職員の属する地方公共団体にほかならないのである。

(ロ) しかるに原告は、都道府県警察の職員が警察官職務執行法及び刑事訴訟法に準拠して行う職務は国家的要請に基くものであるから、その限りにおいては右警察職員は国の公権力の行使に当るものと考えるべきであると主張する。なる程警察権がその本質において国家の統治権に由来しその点で本来国家的色彩を帯びるものであることについてはあえて異論を挾むものではないが、問題は、かかる本来国に属すべき権力が如何なる形態で発動されているか、すなわち法制上この権力が如何に配分されているかの点に存するのである。国家賠償法にいわゆる「国の公権力」の意義は専ら実定法上の権力分配関係に立脚して定められるべきものであつて、法規を離れた本質論からのみ解釈されるものではなく、原告のこの点に関する論議は単なる抽象論に止まり、到底是認されるべきものではない。

(ハ) 原告は、更に特別公務員の職権濫用及び暴行陵虐行為の罰条である刑法第百九十四条及び第百九十五条をその立論の根拠として援用するのであるが、これ等法条は、専ら人権尊重の立場からして強大な権限を有する同条所定の特別公務員に自粛自戒を警告する趣旨に出た以上の意義を持つものではないから、右各罰条の存することは、国家賠償法第一条に関する前叙の被告の解釈を左右し得るものではない。

三、被告は、原告の本訴請求が排斥されるべき理由として更に次の主張を附加する。すなわち、荻原巡査が原告に対してとつた処置は、全く合法的であつて、毫も違法の廉は認められないのである。その詳細は左記のとおりである。

(一)  本件の現場は、東本願寺(東京都台東区浅草松澄町百番地所在)の境内の一部を約四百名の朝鮮人及び日本人が不法に占拠して居住している通称本願寺部落の附近の道路上に当り、この部落の住人によつて犯される覚せい剤取締法違反事件、外国人登録法違反事件及び窃盗事件等は、所轄蔵前警察署管内におけるこの種犯罪事件の大部分を占め、しかも同住人達は、従来常に団結して警察力の行使を妨害し、多衆の力により同部落在住の被疑者を警察職員の手より奪回したり証拠の隠滅を図つたりする事例が少からず発生していたものであるところ、荻原巡査は当日午後二時二十分頃附近を巡回中風呂敷包を携えて通行する原告を見かけたのであるが、場所柄原告が風呂敷包の内に覚せい剤又は贓物を所持している疑もあつたので、原告を呼び止めて職務質問を試みたのである。

(二)  これに対し原告は、最初から徒らに反抗的な態度で語気荒く応答していたのであるが、原告の朝鮮人であることを知つた荻原巡査が本籍、住所、職業等を確認するため外国人登録証明書の呈示を求めるに及んで、これを携帯していなかつた原告は、居直つて原告が外国人の登録を受けていることは警察職員の周知するところであると称して右証明書の呈示を求める同巡査の処置をなじり、菊屋橋巡査派出所まで同行を求められると、証明書が見たければ本願寺部落の自宅まで来いと怒鳴り出す仕末であつた。丁度そのとき原告と同一部落に居住する原告の知人の老婆がその場を通り合わせたので、原告は同女に対し大声で原告の外国人登録証明書を自宅から持つて来てもらいたいと依頼した。荻原巡査は、それ以上現場に長居を続けると、右老婆の連絡により前記部落の住人達が原告を奪還しに押しかけて来る心配があつたので、原告に対し外国人登録証明書を携帯しないこと自体罰則に触れるものであること及び原告の右証明書は後刻取り寄せるよう取り計らう旨諭して、とにかく右派出所まで同行するように促した。

(三)  すると原告は、いきなり荻原巡査を突きのけて本願寺部落に向つて逃走しようとしたので、同巡査は、原告の肩口を捕え、同行を承諾しなければ逮捕する旨告げたところ、興奮した原告は同巡査の胸倉にむしやぶりつき、拳銃及び警笛の吊紐を引つ張る等の乱暴を働くに及んだので、同巡査がこれを制止したところ、警笛の吊紐が切れてそのはずみで原告は道路上に転倒したのである。原告は、その際多少の擦過傷等を負つたらしくますます興奮して大声でわめき立てた。そのとき本願寺部落から五、六名の朝鮮人男子が現われ、原告を奪還しそうな気配がみえたので、同巡査は通行人に菊屋橋巡査派出所へ応援を急報するよう依頼した。その間に原告は、起き上りざま附近にあつた大人の頭の半分位の大きさの石塊を拾つて同巡査に投げつけ、同巡査がこれを避ける間に身を飜して本願寺部落の入口に向つて走り、前記五、六名の朝鮮人に擁されつつ右部落内に逃げ込もうとしたが、荻原巡査は、折柄菊屋橋巡査派出所より応援にかけつけた同僚二名の助力の下に右男達の抵抗を排して原告を逮捕したのである。

(四)  上述したところによつて明らかなとおり原告が傷害を蒙つたのは、自ら招いたものにほかならないのである。

四、なお、原告の本国にわが国の国家賠償法と同趣旨の法律が制定施行されていることは認める。

と述べた。〈証拠省略〉

理由

一、本件において、仮に原告の主張のとおり荻原巡査がその職務を行うについて、故意によつて違法に原告に損害を加えたことがあつたとしても、被告が国家賠償法によりその損害賠償の責に任ずべきものとされるためには、荻原巡査が被告の公権力の行使に当る公務員であることを必要とするので、まずこの点について考究することとする。

二、(一) ところで荻原巡査が本件の職務執行の際警視庁蔵前警察署に勤務していたことは、当事者間に争がないのであるが、当時既に施行されていた昭和二十九年法律第百六十二号警察法(いわゆる新警察法)によると、都警察所属の警察官の身分関係については、左のような定がなされているのである。すなわち、都に置かれる都警察については、その管理に当る機関として都知事の所轄の下に都公安委員会が、同委員会の管理の下に都警察の事務をつかさどるその実施機関として警視庁が、更にその管下に警察署がそれぞれ置かれる(第三十八条、第四十七条及び第五十三条)のであるが、都警察に置かれる警察官の任免は、警視総監については国家公安委員会が都公安委員会の同意を得た上内閣総理大臣の承認を得て、警視総監以外の警視正以上の階級にある警察官については国家公安委員会が都公安委員会の同意を得て、警視以下の階級にある警察官については警視総監が都公安委員会の意見を聞いてこれを行い(第四十九条及び第五十五条)、これ等都警察の警察官のうち警視正以上の階級にあるもの(警視総監をも含む。)は、一般に「地方警務官」と呼ばれて一般職の国家公務員とされるが、警視以下の階級にある警察官(巡査はその最下級に属するものである。)は、都警察に置かれる事務吏員又は技術吏員その他の職員と総括的に一般に「地方警察職員」と称され、地方公務員法の適用を受ける一般職の地方公務員に属するものとされている(第五十六条)のであるから、警視庁管下の警察署に勤務する巡査は、その身分地位自体からは国家賠償法第一条第一項にいわゆる「国の公権力の行使に当る公務員」に該当するものとは到底解し得られないのである。

(二) それで更に進んで、荻原巡査が原告に外国人登録証明書の不携帯又はその呈示拒否という外国人登録法違反の嫌疑があるということで司法警察職員として行つた職務が、その性質上国家的要請に基くものであつて、この限りにおいては荻原巡査は被告の公権力を行使する公務員としてその職務を行つたものといい得るかどうかを検討してみなければならない。ところでそもそも行政法学上行政作用の性質に関する種別として把握される意義における警察の観念については、一般に、公共の安寧秩序を維持することを目的とし、その客体たる人に対しその行為の自然の自由を拘束することを内容とする、国家の一般統治権に由来する行政作用であるとの定義が行われているのであつて、警察権をかかるものとして考える限り、それが多分に国家的意義を有する権力作用たる性格を帯びていることは、何人もこれを否定し得ないところであるが、国家賠償法第一条第一項の規定の解釈に関して、警察力の発動が如何なる場合に国の公権力の行使に当るかということを問題とするときに、前叙のような講学上の警察の観念のみに依拠して結論を引き出そうとするのは、単なる抽象論の域を脱しないものとのそしりを免れることができないのである。蓋し、右に概念づけたような警察に関する権限を如何に配分し、如何なる組織機構の下にその行使に当るかというようなことは、ひとえに実定法の規定をまつて始めて定まるところであり、しかく実定法に基いてその帰属及びその発動の組織等が定められている警察権の主体を実定法上の制度から離れて論議することは、本末を顛倒するものであつて、到底採用に値しないのである。

さてわが国における明治時代以降現在に至るまでの警察制度に関する法制の変遷の経過は、被告が詳細に論述しているとおりであるのでそれに譲り、以下において本件に必要と考えられる範囲において新警察法の下では警察の組織機構がどのように定められているかを、旧警察法当時のものと対比しつつ調べてみるに、新警察法は、(イ)まず第一に、従来国家地方警察と市町村自治体警察との二本建組織になつていた警察が既にその制度自体として著しく非能率的且つ不経済で、かかる制度的な欠陥は過去における運用の実績からも実証ずみであるとして、右のような二元主義の警察制度を廃止し、新たに広域的地方公共団体たる都道府県を警察の単位とするのが最も合理的且つ適当であり、その結果は、犯罪その他の国家的重要事案の広域化に対応する警察の効率的運営を可能ならしめ得る体制を確立できるほか、組織の一元化及び機構の簡素化に伴う人員の整理と財政上の負担の軽減を実現し得る等旧来の制度の根本的欠陥を是正し得るとの理由に基き、都道府県毎に都道府県警察を創設する(第三十六条)とともに、(ロ)旧警察法によつて確立され、わが警察制度変革の最大眼目ともみられるべき警察の民主的管理の方式としての公安委員会制度を存置すべきものとし、中央警察機関である警察庁を管理する国家公安委員会と地方警察機関である都道府県警察を管理する都道府県公安委員会とを設置し(第四条、第五条及び第三十八条)、且つ新警察制度を合理的に運用しその運営を能率的ならしめる目的に即応し得るようにその性格を明確化するため、国家公安委員会の人事権として同委員会は、(1) 警察庁長官を内閣総理大臣の承認を得て、(2) 警視総監を都公安委員会の同意を得た上内閣総理大臣の承認を得て、(3) 都道府県警察本部長及び警視正以上の階級にある国家公務員たる都道府県警察の警察官を都道府県公安委員会の同意を得てそれぞれ任免することとする(第十六条、第四十九条、第五十条及び第五十五条)ことにより、都道府県警察の中における国家的要請面の事務の合理的且つ効率的遂行を図り得る体制を整え、(ハ)警察庁の都道府県警察に対する指揮監督の範囲を限定して(第十七条)、警察運営の主体をあくまでも都道府県警察とし、(ニ)都道府県警察の管理は、都道府県の民主的合議制機関である都道府県公安委員会がこれに当り(第三十八条以下)、都道府県警察の具体的組織は、条例及び都道府県公安委員会規則によつて定めるものとし(第四十七条、第五十一条、第五十三条、第五十六条ないし第五十八条)、且つ都道府県警察に要する経費を原則として都道府県の負担とした(第三十七条)こと等によつて、都道府県警察の独立性と自治性の確保に努め、(ホ)更に都道府県警察事務における国家的警察事務処理のため、限定列挙された事務につき指揮監督ないしは調整の措置を講ずる(第五条)反面、その裏付として必要な都道府県警察に要する経費の一部を国が直接支弁し又は補助することとした(第三十七条)ほか、前示(ロ)において記載したような都道府県の警察官の幹部級に対する国家公安委員会の人事権を確立したのである。叙上これを要するに、新警察法は、旧警察法が一方において地方自治に過ぎて国家的要請を欠除した市町村自治体警察と、他方においてこれと対蹠的な性格を持つ国家地方警察とを併立させた制度上の矛盾を解消するため、自治体警察たる性質を有せしめつつ、その組織運営の面において地方自治の本旨を尊重しながらも最少限度の国家的要請の事務を遂行し得る能力を備えしめ、地方自治的性格と国家的要請という実際上では相反撥し勝ちな二つの要素を合理的に調和させようとする構想の下に都道府県警察を置いたのであつて、同警察は、都道府県の機関として、当該都道府県の区域につき、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする(第三十六条及び第二条)ものなのである。

してみると本件において、警視庁蔵前警察署勤務の荻原巡査がその職務を行うについて行使した警察権は国の公権力ではなく、公共団体たる都の公権力であることは疑の余地のないところであつて、都道府県警察に関する事務が被告の論議する如く都道府県の如何なる種別の事務に該当するかということを確定することは、本件事案の解決には直接の重要性を有するものではないのであつて、いやしくも前叙のとおり、都道府県がその機関である都道府県警察により警察権を行使することについて法律に基きその権限を附与されていることが論証された以上は、国家賠償法第一条第一項の解釈を問題とする限りにおいては特にこの点に論及する必要を認めないのである。

(三) 叙上以外に、本件において荻原巡査が被告の公権力を行使する者として職務の執行に当つたという点からして、被告に対して国家賠償法による損害賠償義務を負わせなければならないことを肯定せしめるに足りる理論的な根拠も事実上の理由も見出し難いので、原告の本訴請求はその他の争点に関する判断を待つまでもなく失当であると断定せざるを得ないのである。

三、よつて原告の本訴請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 吉江清景 高野耕一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例